2021年5月15日土曜日

「#おうちでバリミュ」 徳生忠常氏ものがたり②


この言葉は徳生忠常氏の日頃の信条です。

「お金は社会の預かりもの。たまたま私が預かっているが、何時かどこかへお返しせねばならない。」

ふるさとを愛し、故郷の発展を願った徳生さんは、長年の努力で築き上げた多額の私財を玉川町へ寄附されされました。


今も玉川町に残る徳生さんの貢献についてご紹介します。

※玉川町保健センターは現在、「玉川サイコープラザ」となりNPO法人玉川サイコーにより管理・運営されています。

昭和60年7月 玉川総合公園建設資金を寄附

建設当時の玉川総合公園


「徳生ひろば」と名付けられた公園内の石碑

この時、公園内に徳生さんの銅像を建てたいとの町の申し出に対し、何事にも謙虚な徳生さんは固辞されましたが、何とかして謝辞を表したい町の意向により「徳生ひろば」と名付けられました。「そこまで気を使っていただいて有難うございます」と徳生さんも頭を下げられたそうです。


昭和61年4月 玉川近代美術館の建設へ

玉川近代美術館の用地、建築資金、絵画作品、その他一切の資金を寄附。

「殺伐とした世相を良い社会にするには、体を鍛えるスポーツと、心を耕す何かがいる。それならば前者は総合公園で、後者は美術館としたい。」

徳生さんのこうした想いから美術館の建設へと動き出しました。


昭和61年12月3日 玉川近代美術館開館

開館当時の美術館

開館セレモニー

美術館の設計は松本莞氏が担当しました。松本氏は、玉川近代美術館のコレクションの軸の一つである洋画家・松本竣介の次男で、竣介が少年時代に目指した建築士になられ、当館の設計に携わってくださいました。

2階展示室が空中に浮かんでいるようなデザインは、当時多くの建築家から注目を受けました。また、休憩コーナーにある大きな窓は、『窓から見える景色も1枚の絵画のように』とのコンセプトで、開館から35年経った現在も、四季折々の美しい自然を楽しませてくれています。

1階展示室








2階から1階を見た様子









休憩コーナーから見た桜(2021.4)

徳生さんの長年にわたる多大なふるさとへの貢献に対して、ご家族の同意について尋ねると、「私たち夫婦はあと何年生きるかしれないが、その間は何とか食べていくことはできる。子ども達も親のおかげで学校へも行かせてもらい、今は社会人として成人できた。親の夢が叶えられるならそれで良い。そんなに言って賛同してくれるから心配は無用です。」と答えられました。

開館セレモニーのテープカット後、息子さんから当時の玉川町長へかけられた言葉は「親父の念願を叶えて頂きありがとうございました。」というものでした。

徳生忠常さんのふるさとへの貢献はご本人の高い志はもとより、それを理解し、陰で支えたご家族の協力があったからこそ、成しえた行為であったといえます。

開館当時(35年前)の美術館


現在の美術館

開館当時(35年前)の美術館(側面)

現在の美術館(側面)

開館当時と比べてみると、美術館側面の楠(くすのき)も驚くほど立派に成長しています。当館は、近代洋画のコレクションが主体であり、年4回ほどの館蔵品展や年1、2回の企画展を開催しています。この楠のように、地域にどっしりと根をおろし、停滞するのではなく、変わりゆく時代のなかで美術館も変化や革新をとげつつ、変わらずいつでも気軽に立ち寄れて、ひとときの癒しを感じていただける存在であれたら幸いです。

今治市玉川近代美術館(徳生記念館)は、「ふるさとに文化の土壌を」、「芸術で豊かな心を」と願った創立者  故・徳生忠常氏の意志を継ぎ、身近に本物の芸術に親しむことのできる美術館としてこれからも努めてまいります。
これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。

新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため、現在は臨時休館しております。また皆さまに美術館に足をお運びいただけることを楽しみに、これから先の展覧会の準備を行っております。ぜひ、臨時休館開けには玉川近代美術館にお越しください。6月20日(日)まで館蔵品展「新人画会とその時代」を開催中です。


学芸員F